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1975/05/12 (37歳)概要
井端 弘和 (いばた ひろかず、 1975年 5月12日 - )は、 中日ドラゴンズ に所属する プロ野球選手 内野手 )。
人物:このため、手術による視力の回復をあきらめて2010年の後半戦は棒に振り、同年のポストシーズンでは眼鏡をかけて出場するも、好調時からはかけ離れた成 績であった [16] 2011年 もシーズン当初は眼鏡をかけてプレーしていたが、調子が上がらないこともあり、心機一転の意味を込めて4月下旬頃からコンタクトレンズに戻している。
関連情報 メディア出演 コラム:同僚の 岩瀬仁紀 (岩瀬仁紀の人生野球)とともに中日スポーツの携帯サイト「ドラゴンズ情報」内で、「現状レポート 」とファンからの質問に答える「なん でもQ&A」(質問は同じページで受付中) ・井端からのメッセージ動画(ダウンロードが必要)のほか、井端オリジナルコンテンツとして「マイブーム」( ただし更新頻度は他の3つと比べると少ない)で構成されている。
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Twitterキーワード検索:井端弘和
概要①
経歴: 川崎市立川中島中学校 時代までは 投手 、 堀越高等学校 時代に 夏の 甲子園 に出場。
人物: 2004年から毎年、出身校である 川崎市立川中島小学校 で開催される「井端祭り」に参加し、子ども達との交流を図っている。
詳細情報 記録: 1000本安打:2007年4月1日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(ナゴヤドーム)、1回裏に 藤井秀悟 から左中間へ二塁打 ※ 史上243人目。
概要②
経歴:東都大学リーグ1部リーグ 通算81試合出場、269 打数 78 安打 打率 .290、4 本塁打 、33 打点 。
プレースタイル:空振りは少なく [12] 、外角の球に限らず内角の厳しいコースも腕をたたんで右方向へ運ぶ技術を備え [11] 、得点圏時には右方向に8 割以上の割合で打球を運ぶなど場面に応じたバッティングもできる他 [13] 、ファウル打ちは球界 屈指の技術を誇る [10] これはチームがリーグ 優勝した1999年に一軍出場0に終わり、チームにないものを自分の武器にしようと思って練習した結果だという 要出典。
詳細情報 記録: 1000試合出場:2007年7月16日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(ナゴヤドーム)、3番・遊撃手として先発出場 ※ 史上419人目。
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出展元
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トップへ戻る概要③
経歴:2部リーグ 通算11試合出場、48打数14安打、打率.291、1本塁打、5打点。
人物: 近視 であり、 コンタクトレンズ を着用し試合に臨んでいたが、イニング間に目薬を差しても試合終盤には間に合わなくなるほどの極度の ドライアイ でもあり、視力を矯正しようと2008年から合計3回の レーシック 手術を受けた。
詳細情報 記録: 1500本安打:2010年6月5日、対 千葉ロッテマリーンズ 4回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に 吉見祐治 から右中間へ適時二塁打 ※ 史上105人目。
概要④
経歴: 入団から2年間は二軍生活で、 1999年 は一軍出場なし、 2000年 から後半の 守備固め ・ 代走 としての出場が主であったが、翌 2001年 遊撃手 のレギュラーに定着して全試合出場を果たして以来、不動の として活躍。
プレースタイル:高木監督は「井端は(二塁を守っている時は)気持ちが吹っ切れてなかったし、荒木も肩に不安があるから」と説明。
詳細情報 記録: オールスターゲーム 出場:8回(2001年、2002年、2005年、2007年 - 2011年)。
概要⑤
経歴:2006年から地元の 川崎市 の少年野球のために「 井端弘和杯 [1] 」を主催している。
プレースタイル: 打撃では主に2番打者として起用され、荒木が不調の場合は井端が1番に入ることもあり、監督の 落合博満 の方針により、3番や6番を任されることもあった。
詳細情報 記録: 初出場・初先発出場:1998年9月8日、対 阪神タイガース 23回戦( ナゴヤドーム )、7番・ 遊撃手 として先発出場。
トップへ戻る要約
・■ 井端弘和
堀越高等学校。
・ 亜細亜大学。
中日ドラゴンズ (1998 - )。
井端 弘和 (いばた ひろかず、 1975年 5月12日 - )は、 中日ドラゴンズ に所属する プロ野球選手 内野手 )。
日本プロ野球選手会理事長。
■ 経歴
川崎市立川中島中学校 時代までは 投手 、 堀越高等学校 時代に 夏の 甲子園 に出場。
その後 亜細亜大学 に進学。
東都大学リーグ1部リーグ 通算81試合出場、269 打数 78 安打 打率 .290、4 本塁打 、33 打点 。
3季連続 ベストナインに選ばれた。
2部リーグ 通算11試合出場、48打数14安打、打率.291、1本塁打、5打点。
1997年のドラフト会議 中日ドラゴンズ から5位指名を受け入団(同期には 川上憲伸 高橋光信 らがいる)。
入団から2年間は二軍生活で、 1999年 は一軍出場なし、 2000年 から後半の 守備固め ・ 代走 としての出場が主であったが、翌 2001年 遊撃手 のレギュラーに定着して全試合出場を果たして以来、不動の として活躍。
2004年 には、チームの柱としてリーグ 優勝に貢献し、自身初となる 打率 3割と ベストナイン ゴールデングラブ賞 を受賞する活躍をみせた。
2006年から地元の 川崎市 の少年野球のために「 井端弘和杯 [1] 」を主催している。
国際経験は、2001年に 台湾 で開催された IBAFワールドカップ (4位)、2002年 キューバ IBAFインターコンチネンタルカップ (準々決勝リーグ敗退) 日本代表を経て、2003年アテネオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権では 長嶋ジャパン の一員として 優勝。
2007年 の北京オリンピック予選にも出場し、この2大会の本戦出場権 獲得に貢献した。
2008年 8月3日にFA権を取得するも、その日の 中日スポーツ 朝刊で残留を宣言 [2] 、2008年12月16日に球団 史上最長の5年契約を結ぶ [3] 。
12月22日 テレビ朝日 アナウンサー 河野明子 と結婚。
2009年 は肩の故障もあり 二塁手 にコンバートされる予定であったが、井端本人の調整が目の不調により遅れたことに加え、代わって遊撃手を務める予定であった 荒木雅博 が開幕直前に足を痛めたことで見送られた [4] 。
調整は遅れていたもののシーズンでは主に1番打者として全試合に出場し、4年ぶりに打率3割を 達成。
12月3日には社団法人 日本プロ野球選手会 の理事長に就任した。
2010年 は予定通り二塁手にコンバート、またチーム方針により6番を任されることが多かった。
6月5日の対 ロッテ 戦で、1500本安打を 達成した [5] 。
6月11日に登録抹消。
7月15日に一度一軍復帰するも、途中出場3試合のみで7月25日に再び登録抹消。
復帰は10月2日の最終戦になった。
離脱の理由は公式発表されていないが、目の異常だったと報道されている [6]。
この長期離脱により2000年以来の規定打席未到達、前年まで6年連続で受賞していたゴールデングラブ賞も逃し、二塁のレギュラーポジションも 堂上直倫 に明け渡した。
日本シリーズ では第5戦を除く6試合にフル出場したが、第6戦の初安打まで19打席無安打の不振に陥る。
この6戦と7戦でマルチ安打を記録するも打率.148(27打数4安打)に止まり、また 11月26日 には減額制限一杯となる40%ダウン(3億円→1億8千万円・推定)で契約更改を行う [7] など、不本意なシーズンとなった。
2011年 7月、第一子となる長男が誕生する。
また、自身5年ぶりとなる三塁で先発出場する機会もあった。
9月1日にはNPBから反ドーピング規則違反の処分を受けるが、これは目の治療のために使用していた薬物の許可期限切れに伴う継続申請を怠っていた中日球団の過失による ところが大きいと認定され、最も軽い けん責 処分となっている [8]。
■ プレースタイル
プロ入り当初は外野を守ることもあったが、2001年から 遊撃手 のレギュラーに定着。
荒木雅博 とは守備で二遊間、打順で1・2番を組むことから「 アライバ 」というコンビ名で呼ばれる。
外野に抜けようかという打球を荒木が捕球したのち、無理に自ら一塁に送球せず井端にトスして送球を委ねるというプレーを始めとした数々の芸術的な守備を見せ [9] 、荒木と共に2004年から2009年まで6年連続で ゴールデングラブ賞 を受賞している。
2010年からは年齢的な負担を考慮して 二塁手 にコンバートされ、荒木と守備位置の入れ替えを行った。
しかし、遊撃に回った荒木が失策を連発し、二塁に回った井端も目の不調等で思うような活躍ができなかったことから、監督が 高木守道 となった2012年から再び守備位置を入れ替えることになった。
高木監督は「井端は(二塁を守っている時は)気持ちが吹っ切れてなかったし、荒木も肩に不安があるから」と説明。
打撃では主に2番打者として起用され、荒木が不調の場合は井端が1番に入ることもあり、監督の 落合博満 の方針により、3番や6番を任されることもあった。
二桁本塁打を記録したことはなく長打力には欠けるものの、柔らかいリストワークを生かしたバットコントロールの良さを持ち味とする [10] 。
大きく左足を上げるバッティングフォーム だが、タイミングやステップを微調整するため対応力が高い [11]。
2006年から2010年までの5年間で左投手に対して打率.307を残すなど左投手を得意とする。
空振りは少なく [12] 、外角の球に限らず内角の厳しいコースも腕をたたんで右方向へ運ぶ技術を備え [11] 、得点圏時には右方向に8割以上の割合で打球を運ぶな ど場面に応じたバッティングもできる他 [13] 、ファウル打ちは球界 屈指の技術を誇る [10] これはチームがリーグ 優勝した1999年に一軍出場0に終わり、チームにないものを自分の武器にしようと思って練習した結果だという 要出典。
■ 人物
趣味は 競艇 。
年末年始には、 愛知県 にある 蒲郡競艇場 でトークショーに出演するのがここ数年の恒例行事となっている。
競艇選手 の中では 原田幸哉 と仲が良い [15]。
近視 であり、 コンタクトレンズ を着用し試合に臨んでいたが、イニング間に目薬を差しても試合終盤には間に合わなくなるほどの極度の ドライアイ でもあり、視力を矯正しようと2008年から合計3回の レーシック 手術を受けた。
しかし効果は出ず、逆に 角膜 がほとんどなくなる状態になり、すぐに炎症を起こして視力が落ちる現象に悩まされた。
このため、手術による視力の回復をあきらめて2010年の後半戦は棒に振り、同年のポストシーズンでは眼鏡をかけて出場するも、好調時からはかけ離れた成績であった [16] 2011年 もシーズン当初は眼鏡をかけてプレーしていたが、調子が上がらないこともあり、心機一転の意味を込めて4月下旬頃からコンタクトレンズに戻している。
2004年から毎年、出身校である 川崎市立川中島小学校 で開催される「井端祭り」に参加し、子ども達との交流を図っている。
■ 詳細情報 年度別打撃成績
2011年度シーズン終了時。
各年度の 太字 はリーグ 最高。
■ 年度別守備成績
2011年度シーズン終了時。
各年度の 太字 はリーグ 最高。
■ 表彰
ベストナイン :5回 (2002年、2004年 - 2007年)。
ゴールデングラブ賞 :6回 (2004年 - 2009年)。
オールスターゲーム ・ ベストバッター賞(2009年、 イチロー (当時 オリックス 。
現: シアトル・マリナーズ )、 内川聖一 横浜 福岡ソフトバンクホークス )に次ぐ5打席連続安打)。
アジアシリーズ MVP:1回 (2007年)。
■ 記録
初出場・初先発出場:1998年9月8日、対 阪神タイガース 23回戦( ナゴヤドーム )、7番・ 遊撃手 として先発出場。
初安打・初打点:同上、3回裏に ダレル・メイ から中前適時打。
初犠打:1998年9月15日、対 ヤクルトスワローズ 23回戦( 明治神宮野球場 )、5回表に 川崎憲次郎 から投手前犠打。
初盗塁:1998年9月17日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、1回表に二盗(投手: 山部太 、捕手: 古田敦也。
初本塁打:2000年6月8日、対ヤクルトスワローズ9回戦(明治神宮野球場)、1回表に ドナルド・レモン から左越ソロ。
1000本安打:2007年4月1日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(ナゴヤドーム)、1回裏に 藤井秀悟 から左中間へ二塁打 ※ 史上243人目。
1000試合出場:2007年7月16日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(ナゴヤドーム)、3番・遊撃手として先発出場 ※ 史上419人目。
1500本安打:2010年6月5日、対 千葉ロッテマリーンズ 4回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に 吉見祐治 から右中間へ適時二塁打 ※ 史上105人目。
200犠打:2011年9月1日、対阪神タイガース18回戦(ナゴヤドーム)、6回裏に ジェイソン・スタンリッジ から投手前犠打 ※ 史上32人目( 高木守道 と並ぶ 通算犠打の球団タイ記録)。
オールスターゲーム 出場:8回(2001年、2002年、2005年、2007年 - 2011年)。
サイクルヒット :1回(2002年9月21日、対 横浜ベイスターズ 25回戦(ナゴヤドーム) ※ 史上53人目。
■ 背番号
48 (1998年 - 2002年)。
6 (2003年 - )。
■ 登場曲
『 While my guitar gently weeps 』 ザ・ビートルズ (2009・2010年)。
『 あとひとつ 』 FUNKY MONKEY BABYS (2011年)。
■ 関連情報 メディア出演
久野誠のドラゴンズワールド 、 宮部和裕のドラゴンズEXPRESS ( CBCラジオ 。
週一回程度電話出演。
主に月曜日)。
スカパー!e2 ( )2009年プロ野球(地域限定版)。
名古屋鉄道 - 名鉄特急 ミュースカイの広告ポスター。
Wアミノバリュー( 大塚製薬 )荒木とともに広告ポスターに出演。
井端弘和の一の野球。
■ コラム
不定期更新。
同僚の 岩瀬仁紀 (岩瀬仁紀の人生野球)とともに中日スポーツの携帯サイト「ドラゴンズ情報」内で、「現状レポート」とファンからの質問に答える「なん でもQ&A」(質問は同じページで受付中)・井端からのメッセージ動画(ダウンロードが必要)のほか、井端オリジナルコンテンツとして「マイブーム」( ただし更新頻度は他の3つと比べると少ない)で構成されている。
ほっと 青汁 (販売元は トーカ堂 。
同僚の 荒木雅博 とともに、同社のテレビショッピングや ネットショッピング のページにも登場している。
)。
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